梅雨空ですね。
触れるのをやめておこうかとも思いましたが、取り敢えず。
主に先月でしたが、私がこのブログを更新する度に、変なコメントが寄せられていました。
私はその度に削除していました。・・・特に問題のないコメントは残すとしても、不適切なものを消すのは当然のこと。言わば、自分の家の塀に変な落書きをされたら消すのと同じですから。コメント主がそれを‘消すのは不当だ’と言うことこそおかしいのではないでしょうか。
しかし、そうした毎度のコメントも一週間前からなくなりました。正確に言えば、6月1日付で書いた「正々堂々」というブログ記事を私が載せてからと言ってよいでしょう。つまり私が、何か批判や意見があるのなら堂々と誰であるか名乗るべき、ということを書きました。
それをもって、その後、例のコメントはプッツリと途絶えてしまったという訳です。
私は実はとても残念に思っているのです。もしかしたら、コメント主が、名乗って出る(その上で持論を展開する)ことを期待していましたので。
私は、‘男らしい’(という言い方は今では一種の男女差別になるのでしょうか?)というか、正々堂々としたフェアな‘対決’というのが好きです。それこそ私自身、かつてはリングの上で殴り合い、試合の後にはお互いに抱き合って相手を称えるという経験もしてきました。清々しい男同士の関係。男同士として認め合った尊敬の念。
アンフェアな輩は相手にするに値しない。
しかし、もしかしたら、自分を名乗り出て堂々とやりあおうとする姿勢が見られたのなら、私はある意味でその人を‘認めた’でしょうし、その意見も尊重したでしょう。
それがないというのは、自分で自分のおかしさに気づいてのことなのだろうか。おかしいと気づいていながらやっていた?(だから名乗れない)。
一応ですが、削除したコメントは記録として残っています。
また、ウチの保護者の方々からはこれらのブログコメントの書き込みについて、私の方にメール等が寄せられていました。
「(コメントの内容が)おかしいですよね。嫌がらせでしょうか」
「まず恐らく、あの人しか考えられません。バレバレです」
「相変わらずネチネチしてますよね」
「ストーカーみたいで気持ち悪い」
「同じ人が名前を変えて違うコメントを入れている感じですよね」
等々…。
もしかしたらコメントを入れた人は、こちら(私)の揚げ足をとり、難癖的な批判を書くことでこちらの失墜を期待していたかもしませんが(それとも単なる僻み?)、逆になってしまっているようですね。当たり前と言えば当たり前なのですが。
今、私が書いているこのブログ記事を、当のご本人は読むのでしょうか?
多分、その人は大人だと思うのですけれど、もし子供らに関わる仕事をされていれば(仕事としてでもなく、子供らに関わることがあれば)、大人として、‘人のありかた’をどう教えるのだろう。
‘人の批判や嫌がらせは、こうやってやるもんだ’、‘名乗らなければ分からない’…。
・・・こうしたこと、このアス高のHPブログに書きたくなかったんですけどね。
そうそう、多分ですけれど、私の思うところなどは、後日このHPに「学院長所感(仮)」のページでも作って、そこに書こうと思います。
ブログは、アス高の楽しい記事を載せたいように考えています。
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