快晴っ!
なので、いつも通り30kmばかし走って来ました。
今年31本目。昨年の年間64本には追い付きそうにないですけど、そこそこ頑張ってんじゃないですかね。
年齢考えると、いつまで走るんだろうな、と思うこともあります。
イチローが現役を続けていることに対して、「もうやめろ」とか「老害」などという心ない勝手な外野の雑音を見聞きすることがありますけれど、多分これは、日本の伝統的な価値観に、‛散り際’とか潔さ’とかの美徳を良しとするところがあるからなのでしょうね。
私は基本的に、日本的な価値観って好きなのですけれど、これとか仇討ちとかって、私の持つそれとは違う感じもします。
私は現役を続けるイチローって好きですね。
レベルが違いすぎますけど、私自身そうありたいものだと思います。
ところで、今年の初め頃、こういう論議があったそうで。
「運動部未経験の男は使い物にならない」
う~ん、どうなんでしょね?
その真偽はさておいて、ほぼ間違いなく言えるのは、そう主張する人は、自身がバリバリの運動部であったのでしょうね。
そして、それに目くじら立てて反論するのは、恐らく‘未経験’の人たち。
つまりは、互いが自分の優位を主張というか、自分と異質のものを蔑んで自己満足に浸るというか(‘未経験’の人は、自分を守るために、健気に理屈を並べて抵抗しようとする)。
え?私はどう思うか?
う~ん、分からん。
ただ、事実として、私自身はそれこそバリバリの体育人間です。
団体競技のサッカーも、個人種目のボクシングも、それぞれかつては第一線というか、相当のレベルで打ち込んでいました。
どちらも素晴らしいです(本音を言うと、ボクシングの方が私は好きでしたけどね)。
そして、スポーツ以外の分野も…。
私、結構、‘文化部’的なことも結構やりますので。
どっかで見ましたが、人を貶したり、批判したりするのが常の人って、つまりは僻みから出る性格というか、劣等感に苛まれて心に余裕のないことの表れなんだそうで。・・・なるほどなって思いますね。
私は決して自分に満足はしていないですけれど、少なくとも、自分と違うものを指して‘あれは使い物にならない’とは思わないというか、そういう僻みを持たない自分が結構好きであったりはしますね(不当なことをする者や、許せないことをする者に対する怒りは覚えますけど)。
ともあれ、他人はどうでもいいや。
自分は自分で信じるようにやればいいんじゃないかな。
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